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鉄道同人誌制作サークル「渚沙野電車区」の活動報告と鶏と唐揚げそば。

小さな博物館を「おくる」 ~東急をつくった 五島昇というひと~

東急の博物館、「電車とバスの博物館」の入口に

こんな文章が掲げられているのをご存じですか?

 

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 昔から人や物を運ぶ輸送という仕事は、人々のくらしにとって大切な役割を果して来ています。

 近年、電車・バス等の大量高速輸送の発達によって、都市と経済は飛躍的に発展してきました。

 これらの交通と街づくりの関係を理解するだけでなくさらに正しいものの見方、考え方を培うことを希ってこの小さな博物館をおくります。

昭和57年4月 五島 昇

 

東急といえば、電鉄王とも乗っ取り王とも言われた 五島慶太氏が、

その豪腕ぶりで有名ですが(銀座線乗っ取り事件とかね)

昇氏はその息子にあたります。

 

いまの東急がどうやって出来たかを考えるには、

戦後の東急を引っ張ってきた昇氏を見ておくべきだ、

というのが、今回、東横線の本をつくって感じた感想です。

 

父親の慶太氏は学問を志し上京し官僚となり、

そして鉄道経営へと転身した人物ですが、

昇氏は当初、後継者とは考えられておらず、

後継者候補となってからもゴルフ三昧と、

良く言えば父のようなカタさがない、

悪く言えば遊び人、といった人でした。

センスがあった人で、たまプラーザの名付け親でもあります。

 

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そんな彼のセンスは、今の渋谷の3割くらいに影響してます。

3割、ですね。

じゃあ他の7割は?というのは、新刊を読んでみてください(宣伝)

 

 

ちなみに、電車とバスの博物館には、もう一つ、昇氏ゆかりものもがあります。

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これ、わかんないって人も最近は多そうですが…

いまはJALに合併されてしまいましたが、

昔、JASという航空会社があって、

東急はその大株主でした。

って言うより、創設したの東急って言っても差し支え無いです。

 

なんで東急が飛行機に手を出したのかというと、

昇氏が環太平洋にグループの勢力を伸ばそうとしていたから、だとか。

ハワイに東急のホテルが有るのもその名残ですね。

しかしながら、バブルによって不動産価値が下落し、

不動産に大きく依存している東急グループの業績はガタ落ち、

JASも航空業界の競争激化、ということもあって、

互いが互いを助けられずに足を引っ張り合う格好になりました。

 

これがJALへの統合に繋がるわけですが、

そのJALもコケてしまい、東急は株で大損をする、

という話がつながっていきます。

そう考えると、五島昇というひとは、

たまプラーザをはじめ、東急の色々なイメージを作り上げたプラスの点と

2010年代のJAL株問題まで引きずる負の遺産を残したマイナスの点と

よくも悪くも、今の東急をつくった人だと言えるのではないでしょうか。

 

 

難しい話でした。

 

それにしても、

博物館を「おくる」って表現、素敵ですよね。